52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 09 08 07 06 05 04 03 02 01 00
このサイトで紹介した4本のラインをGooglemapで拡大しながら辿って行く中で、かなりの数の電波塔や放送施設が並んでいることに気が付いた。またこのラインBとCの付近には合計5つの航空機運行に欠かせないVOR/DME施設の円形の形を確認することが出来る。内訳は全国に13あるVORTACのうち、大子VORTAC(09)と御宿VORTAC(00)の2施設と、全国に71あるVOR/DMEの3施設、大館/能代空港(31)、山形Yamagata(19)、成田空港(03)がそれぞれ最大誤差2.14kmの中に確認する事ができる。またその誤差2.14kmをライン幅としてライン陸地通過部分の総延長890kmをかけるとこのラインの総面積が1904.6km2が算出できるが、これは日本国土の総面積378000km2の約0.5%に相当し、VOR/DME施設の集中度という観点から比較すると平均の9.8倍、特にVORTAC(全国総数13)については、複数の航路が集中する大子VORTAC(09)と、ラインの南端に首都圏航空運行の要である御宿VORTAC(00)があるが、数では13:2であるが、面積密度は30.5倍になる。(下図参照)つまり千葉から東北にかけてこのラインは航空の運行を司る背骨の様に見えるが、交通ということでは青函トンネルの竜飛岬側入り口がこのラインに重なっており、約5kmラインと並走し北上するのも興味深い。(38) 放送関連の電波塔に関しては私がこのラインBとCの間に見つけたのは計6基あったが、放送塔全国総数の情報がないので、密度に関して全国平均との比較はできないが、もし放送塔をこの密度で全国規模で設置するならば、国土は電波塔だらけになってしまうであろう。またライン北端の神威岬の端には電磁台跡(52)というものがあり、現地の説明板の写真から読みとると、日露戦争時にロシア艦隊の監視、通信用に作られた施設の痕跡ということである。またウィキペディアの神威岬の電磁台についての記述によれば、「電磁台(電波探知塔)1942年(昭和17年)、太平洋戦争中に設置されたレーダーの跡。」とある。
この明治以降現代まで敷設された電波塔や、航空関連施設、放送塔の並びが意図されたものであるか、それとも北海道へ向かって真北に伸びる本州東北部の地勢学的な要因から生じる偶然であるか。はたまた、ゲニウス・ロキ、つまり地霊のような超自然の力の作用か、単なる偶然によるものかについての判断はここでは保留にするが、少なくとも電波塔というカテゴリーにおいては、地図上に不思議な並びを可視化すことが出来たのではないだろうか。つまりこのラインの敷設を有史以前と見做すなら、このラインは現代においてもしぶとく生き続け、更新されており、いわば大地に直接描かれたアビ・ヴァールブルクが提唱した‘ムネモシュネ・アトラス' そのものではないだろうか。