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   ここに紹介するのは日本の国土に一直線に描かれた幅50mの4本のラインである。このラインを最初にを見つけたきっかけは、同じ緯度上にある幾つかの歴史的ポイントをグーグルマップ上で結び、その東西ラインを拡張し、幅も約1.2kmに広げ、その上に出現するものを並べていくと、縄文時代からの遺跡、祭祀場、古墳、神社仏閣、また峠、山頂、岬など古来より神聖視されて来た自然の造形も現れ、更に電波塔、テレビ塔など現代の高層建造物も複数存在していることに気付いたことである。自分の表現として30年間ライフスクロールと名付けた巻物を 描き続けている私には、この大地に展開したライン自体が、時空を超えた壮大な巻物のように思えた。しかしこのラインに沿って、人々が往き来する道が実際に築かれたいう痕跡はないので、このラインは言わば観念上の道であろう。ここで紹介する2本の東西ラインは春分と秋分の太陽の運行と重なるので太陽信仰と、また南北ライン二本の方は夜の世界、北辰と月信仰に関係があると思われる。
 このような古代の旧跡、遺跡の配置に直線的並びを見つけその意味を考察することは、1921年にイギリス人のアマチュア考古学者アルフレッド・ワトキンス(en:Alfred Watkins)によって「レイライン」として最初に提唱され、その後も世界各地で同様の試みが行われている。日本では1980年02月11日(月)にNHK特集「謎の北緯34度32分をゆくー知られざる古代」が放映され、大きな反響を呼んだ。この東西ラインは「太陽の道」と名付けられ、放映後は同名の本がNHKブックスから出版され、こちらも版を重ね、私も感化を受けた一人である。
  また近年では、出雲大社、大山、元伊勢、竹生島、富士山、寒川神社、玉前神社が東西に一直線上に並んでいるという「御来光の道」がよく知られるようになった。残念ながら、この全長700Kmほどの「御来光の道」には7kmほどの南北幅、つまり誤差があるが、ここで紹介する2本の東西線はほぼこの「御来光の道」の幅の内に含まれているが、「御来光の道」を往路と復路の2本に分割することで、誤差をそれぞれ500m程度内に収め、精度と意味と性格を際立たせたと考る。

 

  この4本のライン上にある旧跡、遺跡の多くは先史時代に計画され、築かれたと考えられるものが多く、現代の視点から想定される古代の測量技術をはるかに超えたり、今日考えられている当時の勢力分布を逸脱することも多い。また文献的裏付けが可能になる時代になってもタブーとされたり、隠蔽されたものとの関わりが多く、アカデミズムの側からすれば、証明の術が無い上に、従来の学説とも異なることも多いので、学問の対象外になるのは致し方のないことであろう。 事実こうしたレイラインの多くはアマチュアによる発見で、アカデミックな立場からはたまたま並んだものを恣意的に関連付け線を引いたものであると批判されて来た。  しかし、個人的な体験としては、この自分が見つけた(と信じている)ラインを拡張し、検証する過程で、荒神谷遺跡(ライン2-29)、伊勢堂岱遺跡(ライン3-31)など近年発見された重要遺跡を確認した時、これらのラインが、私個人の妄想ではなく、客観的な事実として遥か昔から存在していること、さらに私が気付かないポイントや、未発見、未発掘の遺跡が今後ライン上に現れるのではないかという予想と確信を得たような気がする。しかし、一方で、電波塔などの現代の建造物も含まれるこのラインの意味と目的が古来より、今日に至るまで、自覚され、継承され、つまり、何千年にも受け継がれたグランドプランのようなものが存在しているかどうかについてはコメントを保留にせざるを得ない。
自分にはこの4本のラインはいわば大地に直接描かれたスクロールのように思える。この大地のスクロールには、将来も描き加え、更新が行われるだろうし、私も今後、解釈の変更、編集を行っていくつもりであり、他の方からの助言、お力添え、共同作業を願って止まない。各ポイントが時に相反する重層的な意味を持ち、またポイントの組み合わせや位置によって、象徴するものを変化させているこのラインから、ドイツの思想家、アビ・モーリッツ・ヴァールブルク(Aby Moritz Warburg)の提唱した「ムネモシュネ・アトラス」(Mnemosyne Atlas/記憶の地図)を思った。このラインが、開かれた「大地に描かれたムネモシュネ・スクロール」(Mnemosyne Scroll on The Ground)に発展することを願っている。
 様々な批判、もしくは黙殺が予想されるが、まずは実際にこの地図上に何があるか、カーソルを動かしスクロールしながらご自分の目で確認して戴けたら幸いである。

 

ホピ族とズニ族の聖地サンフランシスコピークス

2本の緯線とサンフランシスコピークスの位置関係 / Equinox Sun roads and San francisco Peaks 


 私はアニミズムやシャーマニズの芸術に興味があり、アメリカ先住民部族であるホピ族カチーナ人形の造形にも魅せられている。様々なバリエーションがあるこの人形は、精霊カチーナをかたどったものであり、ホピの人々の居留地の西約50km方向にそびえ立つ山の頂、サンフランシス・コピークスに住んでいると信じられている。
 そんな話に興味をそそられながら、ある時、ふとこのサンフランシスコピークスの緯度が気になり、グーグルマップで調べてみたところ、太平洋を挟んで9653kmの距離を隔て、ライン@の往路とラインAの復路の南北間の幅6kmの緯度が南北に連なるサンフランシスコ・ピークスの範囲にほぼ一致することがわかった。幾つかの山頂を持つサンフランシスコ・ピークスの幅を厳密に確定するのは難しいが、特に最高峰のハンフリー・ピークはこのライン@とラインAのほぼ中央を通過する。興味のある方は検証して戴きたい。私もさすがにこの一致を偶然ではないと声高に主張することは出来ないが、ホピ族を含むアメリカ先住民の祖先はアジアからベーリング海峡を渡りアジアから移住してきたことはDNA解析から以前より指摘されていることであり、彼らの赤ちゃんの多くは蒙古斑を持って生まれるという。またホピ族をはじめ彼らの属するプエブロ・インディアンを調査したアビ・モーリッツ・ヴァールブルク(Aby Moritz Warburg)の「蛇儀礼」岩波文庫でも明らかであるが、彼らには「蛇信仰」の伝統があり、また土器作りに長けていることなど、我が国の縄文、弥生文化との多くの共通点がある。また近年ではやはりプエブロインデイアンの一種族であるズニ族と日本との関係についてのアメリカの学者による研究、'The Zuni Enigma: A Native American People's Possible Japanese Connection'があり、 邦訳「ズニ族の謎」 (ちくま学芸文庫)も出版されている。 ここでは我々アジア系とプエブロ・インディアンを含めアメリカ大陸の先住民との血縁関係はもはや明らかな事実で、そこから踏み込んで、特にズニ族と日本人との血縁関係、言語、文化的近似は濃厚で、それは鎌倉時代末期に日本からの移民があり、その血と言語と文化を受け継いだ子孫が現在の「ズニ族」であるという突飛とも思える結論であり、また訳者も指摘していることではあるが、時々和語と漢字熟語の読みの混同があるが、真摯な調査と資料と論証を積み重ねており読み応えがある。訳者の一人であり、自身著名な人類学者である吉田禎吾氏の解説によれば、日本の中世海上交易の研究の泰斗でもあった歴史学者網野善彦氏も本書に興味を持っていたと言う。実際、幕末に通訳として活躍した尾張の音吉を始め、日本人が難破しアメリカ西海岸近くに漂着したという記録はいくつも存在しているので、この「ズニ族の謎」を検証もぜずに、荒唐無稽なトンデモ説として却下することは適当ではないであろう。また、私は「ズニ族の謎」を読みながら補陀落渡海のことを考えた。補陀落渡海と言うと、海の即身成仏というイメージがあるが、渡海の目的、方法にも様々なものがあって全ての船出が死を前提にはしておらず、中には30日ほどの食料を渡海船に積み込んだ例もあると聞くが、論じるにはもっと調べねばならないと感じている。
下に大山、蒜山、富士山、サンフランシスコピークスの写真を並べたが、この雄大な四峰が約1万キロの太平洋を隔てて同緯度に並んでいることは、偶然とは言え驚異的なことである。もしかしたら、ホピ族やズニ族の人たちは居留地の西方向に聳えるサンフランシスコピークスを見て、太平洋を隔てた祖先の故郷に聳える山を見ているのかも知れないと想像した。

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