The Rings of Saturn Top

Placebo1

 

川岸の二つの時間と空間

 人で溢れた商店街に育ったので、近所の河川敷が遊び場だった。大きな堤防の内側には野原が広がり、背の高い草むらの中でホームレスの隠れ家に突然出くわしたり、私たち子供には格好の冒険の場でもあったが、時にはひとり自転車で堤防伝いに探検に出かけたりした。南へ海に向かって自転車をこぎ進めると、やがて大きな水門が現れ、さらに下ると右側に独特の臭いのする巨大な製紙工場があった。この工場は私の愛読書であったドリトル先生シリーズの本の紙を製造していたので、私は特別な親しみを感じていたのだった。工場の前で大きく蛇行した川に遮られた対岸へは橋がなくそこから自転車で行くことはできなかったが、以前叔父がハゼ釣りに連れて行ってくれたので、堤防の向こう側に広がっている景色を思い描くことが出来た。そこはとてつもなく広い、水と大地と空が混じり合う不思議な場所で、独特な話し方をする漁師や貝掘りの人たちが住んでいた。祖父の住んでいた鎌倉の海岸はくっきりとした輪郭をもっていたが、ここではすべてのものが白濁した時間と空間に溶け出してしまいそうな、自分がどこに立っているのかさえも見失ってしまいそうな曖昧模糊とした世界だった。
 この「沖の百万坪」と呼ばれた広大な汽水域は1958年、製紙工場の黒い廃水に汚され、数え切れない魚が浮かび上がり、憤った漁民たちの命懸けの抗議運動が勃発したという事実を後に知った。この闘いはその後の環境行政を変える端緒になるなど歴史的にも大きな意味を持つ出来事だったが、住人たちの多くは時代の流れに逆らえず、それまでの漁業中心の生活はやがて終焉を迎えることになった。当時、この地域の水と陸地が埋め立てによってはっきりとした形と役割が与えられる以前の最後の風景があったのだろう。 一方製紙工場は数年前も排出ばい煙のデータ改竄で物議を醸したこともあったが、1922年以来現在まで途絶えることなく操業が続けられている。かつて工場からの黒い水が東京湾へ流れ出した河口の突端には今、戦後の大衆の夢を最大公約数にしたようなディズニーランドのシンデレラ城が立っている。
 さて1964年のこどもの私は、対岸の茫漠とした世界に飲み込まれてしまうような気がしてきたので海まで行かず引き返すことにした。住宅の屋根よりも高い堤防はどこまでも平らで、やがて日が傾くと左方向に都心の東京タワーや、100kmかなたの富士山がはっきりと見えるのだった。全てが眼の高さに沈む夕日に染まり、遠い町の騒音も低い振動になって、光と一緒に真横から自分の中になだれ込んでくるような気がした。気が付くと右側の東の空にもう一つの太陽のような満月が浮かび、地球を真中に三つの天体がほぼ一直線に並んだような気がした。「夕陽を浴びている僕は今、確かに地球の縁にいて、宇宙からも僕のシルエットは見えるだろう。」南北に流れる川と巨大な東西軸の十字の交点で天体と一緒に北へ走っているような陶酔感を覚えるのだった。

 

地場 賢太郎

Placebo1

Still fromThe Rings of Saturn 2014

Placebo1

Left : Black Madonna, black velvet on canvas, Size 26cm x 22cm 2012
Right:Detail of Lifescroll, Ink Drawing on Paper, size 38cm x 49cm 2010

 

略歴(英語)

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